記憶と記録

雑記、詩、遺書

人生のスタートというのは、母体に新たな命を宿した瞬間でも、産道を抜け身体が外気に触れた瞬間でも、物心のついた頃合いでもなく、自分という人間を受け入れられた瞬間なのだと思う。

人によっては生まれ持ったその瞬間から自分を受け入れられる人もいるのだろうし、死ぬその瞬間まで自分自身すらも受け入れられずに死んでゆく人もいるのだろう。

 

わたしは、自分を受け入れられずにいる。

わたしは結局わたしにしか関心がないのだろう、目の前に座り優しく微笑みかけてくれているわたしの大切な人たちのことを、わたしはわたし越しで見ることしかできないのだ。わたしは、何のフィルターも通さず、人を愛して、人を憎んで、人を考えていきたいのに。

 

どうだっていい人間が沢山いる。

どうでもいい、どうでもいい、ああ、自分が、どうしようもなく、下劣な人間に思えてくる。ひとの愚痴を話した自分が許せず、死んでしまえ、ひとの悪口に頷いた自分が許せず、殺してやりたい、わたしは最悪の人間なのに、わたしが人を判断してしまったこと、ゆるせない、ひとは鏡だ、価値観、堂々巡り、輪廻転生、正しさ、悪、優しさ、わたしには何も分からず、ただ、自分の心臓がこの世界で動き続けていることだけは感じられる。

 

朝がくる。