記憶と記録

雑記、詩、遺書

全然もう生きてなんかいたくなくて、最悪最悪最悪だと思い続けて幾年、そうした自己嫌悪が膨れあがって地球を覆い尽くし、今、窒息しそうになっている。最悪最悪最悪だと思うのは大抵人との関わりが強く濃厚であった日で、やはり私は誰とも関わるべき人間ではないのだとその度に痛烈に感じるのである。自分の気持ち悪さを自覚したくない。でも自分の気持ち悪さは自身でコントロールできない故の気持ち悪さだからもう、残された道は死しかないのではないかと思う。

上手いこと生を熟せたらと思うが、生きるのはずっと下手なままで、根腐れした性格だとは思いたくないが、目に見えるものが全てなのだとしたらもうそういう人間ということになってしまう。客観的に考えればこの世は目に見えるものが全てなのだ。誰も不幸になってほしくないし、家族や大切な友人には毎日安心して眠れる生活が続けばいいと思っていて、そこに偽りなどこれっぽっちもないのだけど、それをまるで感じさせない自分が表出しているのである。地獄だろ。

受取側の不具合で愛を享受できないまま育ってしまい、気付いた時には愛に貪欲なマシーンになっていた。愛されたいが常に先行するから愛することができなくて、愛することができないから誰にも愛されないという最悪の循環の中で生きることの滑稽さ。一周回ってもはや愛おしいまであるか?ない。

どうすれば私はこのしがらみから解放されるのだろう。どうすればこの痛さや気持ち悪さが人並みレベルにまで落ち着くのだろう。私が私を生き辛くさせている原因はどこにあるのだろう。

最近の私の脳内は常にカオス状態である。ごちゃごちゃとしていて、探し物を取り出すのがむつかしい。なんだかぼんやりしているし、物忘れもひどい。ああ、落ち着きたい。落ち着きたいんだ。本当にそれだけ。