記憶と記録

雑記、詩、遺書

生き地獄無限列車編

鬼滅の刃は1話だけ見ました。

 

生き地獄。生き地獄。人生は生き地獄です。

わたしはわたしのことが醜くて仕方ありません。

人と対話すると相手を通して自分を客観視できてしまうから、人に会う予定が重なった時は自意識がわたしに刃を向けて今にも息の根を止めようとしてくる。わたしの死に対する畏怖の情は、それは、私自身への畏怖なのだと思う。わたしはわたしが恐いんです。ああ雨に打たれて死にたい。風に飛ばされて死にたい。熱帯の熱で火傷して死にたい。 

 

 

不良でない人間があるだろうか。味気ない思い。金が欲しい。さもなくば、眠りながらの自然死!

 

戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。

 

結局、自殺するよりほかしようがないのじゃないか。このように苦しんでも、ただ、自殺で終わるだけなのだ、と思ったら、声を放って泣いてしまった。

 

あなたたちは、僕の死を知ったら、きっとお泣きになるのでしょうが、しかし僕の生きている苦しみと、そうしてそのイヤな生から完全に解放される僕のよろこびを思ってみて下さったら、あなたたちのその悲しみは、次第に打ち消されて行く事と存じます。

 

そうなんだよ、太宰。

なんでわかるんだよ、なんでわたしの気持ちが、まるっきりそのままわかってしまうんだよ。

時代も性別も生まれも育ちも何もかも違うのに、どうしてわたしの気持ちがわかるんだ!

 

薬を飲み続けた。なにも効きやしない!と思いながらただ飲み続けた。

 

目が覚めたら、わたしは別の人間に生まれ変わっていた。生まれ変わり。輪廻天才。ホモ・サピエンスからホモ・サピエンスへ。

 

毎日、毎日、本気で、死のう、死ぬんだと考えていたわたしが、まるですべてフェアリーテイルだったかのよう、ただ呑気でのんびりしたゲラのわたしがわたしの身体を支配した。

 

死を意識しない人生なんて嘘だと思っていた。ファンタジーだと思っていた。現実に存在した。「死にたい」とこぼしたときにまあまあと慰めてくれた色々な人たちの、そちら側の世界を知った。

 

死にたくない世界は、どうしようもなく、つまらなかった。

生きている実感がなかった。こんなの人生と言えるのか。人が生きると書けるのか。?私にわからない。こんなの人生ではない。

 

薬を飲むのをやめたい、地獄の、地獄の世界に、もどりたい。

 

人間って所詮動物なのですよ。

動物園の動物をわたしたちは当たり前のように眺めるけれど、わたしたちだって檻の向こう側にいて然るべき存在なのですよ。

 

宇宙という観点からみれば、正しさなんてものは今のところ私たちの住む世界には存在しません。わたしたちが正しさだと思うものは、人間社会がつくりだした独自のローカルルールに過ぎません。全国各地の人間と大富豪をやる際にローカルルールを各々が自由に持ち寄り適宜発動したりなどしていたら、富豪など決まるはずがありません。ローカルルールだと言い張ればどんなルールだって適用できてしまうもの。いろんな人種が揃った時は、定番の、通常の、初期設定の、シンプルなルールを。それはただ宇宙が存在し、地球が存在し、わたしたちが生きているというそれだけのこと。それが、ルール。

 

恋や愛や友や家族や血や不倫や暴力や犯罪や支配や思惑や嫉妬や憎悪や欲望や憤りや怨恨やいじめも、わたしにはよく、わかりません。