記憶と記録

雑記、詩、遺書

まじでもう仕事無理かもと思って、休職?いやいや復職怖すぎる、退職?いやいや無職が一番怖いんだからとかぐるぐる考えてでもそんなこと判断できるような状況でもなくとにかく身体が鉛のように重く動けなくて仕事中に涙が止まらなくて助けてくれと叫びながら過ごしていたら、5m先に座ってる1個上の先輩がダウンした。

 

まじで何が起きているんだ?と脳内がぱにっくになりながら年末の人々の浮き足立ちに焦燥感と苛立ちを感じながらこうして人は社会人になっていくのだこうして人は心を失っていくのだと第4のわたしがぽつりと呟くからめちゃくちゃに殴った。

 

12月って全然信じられなくて今年のよかったことは冬より夏が嫌いだと気付けたことでこれ割といい気付きだったなと思うけど側はクソみたいな人生。

 

小池貞利に会いたい!!小池貞利に会いたいよ

小池貞利の言葉を感じて感じて感じて気持ちよくなりたい ブログを消さないでよ

 

恋愛の亦の字もない日々、すこし良いなというかふつうにいいなと思える人がいて、その人子どもいて、人生はハードモードハードモードハードモード

 

 

幸せ掴んでやるからばかやろーーーーー

全然もう生きてなんかいたくなくて、最悪最悪最悪だと思い続けて幾年、そうした自己嫌悪が膨れあがって地球を覆い尽くし、今、窒息しそうになっている。最悪最悪最悪だと思うのは大抵人との関わりが強く濃厚であった日で、やはり私は誰とも関わるべき人間ではないのだとその度に痛烈に感じるのである。自分の気持ち悪さを自覚したくない。でも自分の気持ち悪さは自身でコントロールできない故の気持ち悪さだからもう、残された道は死しかないのではないかと思う。

上手いこと生を熟せたらと思うが、生きるのはずっと下手なままで、根腐れした性格だとは思いたくないが、目に見えるものが全てなのだとしたらもうそういう人間ということになってしまう。客観的に考えればこの世は目に見えるものが全てなのだ。誰も不幸になってほしくないし、家族や大切な友人には毎日安心して眠れる生活が続けばいいと思っていて、そこに偽りなどこれっぽっちもないのだけど、それをまるで感じさせない自分が表出しているのである。地獄だろ。

受取側の不具合で愛を享受できないまま育ってしまい、気付いた時には愛に貪欲なマシーンになっていた。愛されたいが常に先行するから愛することができなくて、愛することができないから誰にも愛されないという最悪の循環の中で生きることの滑稽さ。一周回ってもはや愛おしいまであるか?ない。

どうすれば私はこのしがらみから解放されるのだろう。どうすればこの痛さや気持ち悪さが人並みレベルにまで落ち着くのだろう。私が私を生き辛くさせている原因はどこにあるのだろう。

最近の私の脳内は常にカオス状態である。ごちゃごちゃとしていて、探し物を取り出すのがむつかしい。なんだかぼんやりしているし、物忘れもひどい。ああ、落ち着きたい。落ち着きたいんだ。本当にそれだけ。

考えれば考えるほど

 

あかいあかい血は太腿に滴り落ちて

涙は流さずにいる 悲しくなんかない

 

胸がきりきり胃がとくとく

狂った身体がビー玉のないラムネ瓶のよう

 

 

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  これまでの人生を思い出す。

 

これまでの感情を思い出す。

 

これまでの暮らしを思い出し、

これまでの選択を思い出した。

 

 

なんだか苦しいことばかりだったと思って、

でもその苦しみを私自身ですら解放できずにいて、

じゃあどうすれば、どうすればと考えていたら

気付けばこんなところまで来てしまっていた。

 

何かをはっきりさせることは、

曖昧な何かを殺すことだ。

 

曖昧な何かを殺すことは、

私の判断を信じることだ。

 

最悪な自分が顔を出し、

最悪な心が私を支配する。

 

最悪な心が私を狂わせ、

狂った私が私を曖昧にする。

 

ゆるせない自分がいて、

ゆるせない人間がいる。

ゆるせない慣性があって、

ゆるせない動きがある。

 

世界なんてくそくらえと叫んでは

ちいさなちいさな表情の変化に

死にたくなるほど心が動かされる自分がいる。

 

ああ、人生は、人生は。

 

愛を許されたいし、

愛を、愛を、愛を、愛を。

いまさらのラブレター

何度も夢に出てくる人がいる。

わたしの憧れ。心地よい秋風のような人だった。

 

憧れだったから、ふつうの眼でその人を判断することができず、私にとってその人は実体のない概念や哲学のようなものの一つだった。

 

顔や声はほとんど覚えていないのに、あの人の纏っていた色や形やリズムはまるで今目の前にあるかのようにありありと思い出すことができる。

 

 

夢から覚めたとき、わたしはあの人のことが好きだったんだ、とやけに冷静に考えた。

 

あの人のそばにいたくて、あの人と同じ目線で言葉を交わしたくて、あの人に好きだと思われたかったのだ。どうして今になって気付くのだろう。

 

そう考え始めると、もう随分長いこと片想いをしているような気になってくる。ほかに恋人がいた時も、出会いを求めてふらふらしていた時も、寂しい夜をどうしようもないことで埋めていた時もずっと、あの人のことを好きでいたんだ。

 

あの人からすれば、人生の中で通り過ぎていくひとりの人間に過ぎないけれど、そんなことをどうでもいいと思えるくらいに、究極の愛だった。

 

 

元気にしているだろうか。

夢の中であの人は、行きつけの居酒屋の店主が作ってくれる焼き鳥を見つめながら、横に座ったわたしの存在をまるで無視して、店主との会話に花を咲かせていたし、素面とほろ酔の間くらいの僅かの酔いを漂わせて、押さずとも簡単に転げ落ちてしまうわたしに何のアプローチもしかけず、商店街をあてもなく歩いていた。

 

変わらずにいてほしい、と思った。

おばあちゃん

おばあちゃんが息を引きとった。

8月10日13時10分。

 

その前日

素性の知らぬ男と酒を交わし

知らない駅の待合所で

意識を取り戻したのは私。

 

酩酊しながら家路につき

ベッドの上でただひたすらに

恥晒しの我が人生について思いを馳せていた。

ところだった。

 

「おばあちゃんが死んだ。職場に電話しなさい。恐らく明後日が葬式で、仕事を休まないといけないだろうから。」

 

音だけが先に耳へ届き、意味が脳へ到達するまでしばらくの時間を要した。

 

私にはおばあちゃんとの思い出があまりない。

親族特有のコミュニケーションのそれが苦手で、おばあちゃん家に行かなくてはいけないお盆や元旦はいつも憂鬱だった。

 

今でも、おばあちゃん家に向かう道路を通ると、胸がきゅっと縮まる思いがする。体は心よりも正直だとその時だけ考える。

 

 

思い返せば葬式など物心がついてからは初めてのことだった。

父方の祖父母は私が私であると認識する前に死んでいたし、母方の祖父は知らぬところにいるし、それ以外の親戚付き合いは全くといっていいほどなかったので、親戚が生きようと死のうと私には関係のないことだった。友人・知人も数人この世を去っていったが、どの人も葬式に行くような間柄ではなかった。

 

 

人が死ぬとはどういうことだろう。

 

焼かれて灰と骨だけになった祖母をみた。

骨を箸でつつくと、ほろほろと崩れた。

叔父はそんな祖母をみて「せんべい。おばあちゃん、せんべいになっちゃった。」と言った。

 

 

泣く資格などないと思った。

通夜も、葬式も、鼻を啜る声も、母のたまらない表情も、なにもわからず走り回る2歳の姪も、消えた肉体も、集った多くの知らない人々の影も、その全てが私を動揺させ、困惑させ、苦悶させ、感動させたが、泣くことなど許されないと思って、掌を強く強くつねりつづけた。

 

 

 

小学六年生の運動会、わたしは応援団の団長をした。あの青い青すぎる日々を思い出す。運動会当日、おばあちゃんが見にきてくれていた。その写真が葬式場に飾られていた。からだの悪いおばあちゃんがわざわざ見にきてくれることのありがたさを当時のわたしは知らない。

 

中学生の頃に学校に通えなくなった。勉強もしないで、家に引きこもってゲームばかりしていた。将来などあって無いようなものだった。さまざま声をかけてくれる人がいて、それはそれでありがたいことだった。けれど、その時何よりありがたかったのは何も言わないでいてくれることだった。おばあちゃん、私が会いに行った時も、何も聞かず、ただ温かく微笑みかけてくれてありがとう。

 

 

 

宇宙から考えれば、人ひとりなど極めてちいさなちいさな存在であり、50kgに任せられたその魂に、ひとはあらゆる憂いと慈しみを抱き、そんな人間という不可思議な生き物のことを、わたしはデタラメに愛してる。

 

 

 

4月

何よりも嫌いだった春がきた。

桜が満開で、人々が衣服を一枚脱ぎ、なんだか晴れやかな顔をして、日本をくるむ空気全体がどこか浮き足立っている。

 

古く、長く、親しみのあるものが好きで、手垢のついていないピカピカの、馴染みのないものが苦手だった。

 

人の顔を窺い続ける人生で、人の判断を見誤る人生だったから、新しい知らない人ばかりの場所はどうにも居心地が悪い。春はいつも試練を意味していたし、冬はいつも諦念と失望のアンハッピーセットを泣きながら咀嚼していた。

 

 

16年間過ごした学生という身分からの卒業。果てしない社会人という巨大で得体の知れぬ身分、成れの果て。

 

 

子どもなんて最悪だと思っていて、はやくはやく1日でも早く大人にと思っていて、今でもその気持ちは変わらずある。

名前の横につく年齢表記も、1年、また1年と数を一つずつ重ねていくのが嬉しかった。

 

 

朝。見知った顔が並ぶ駅のホームで電車を待つとき。

改札を抜け高校生の群れの間をぬって左に曲がるとき。

外の光だけで暗く照らされた職場の扉を開けるとき。

 

理由のない涙で視界がぼやける。

 

いつのまにこんな年齢になってしまったのだろう。

14歳のわたしはわたしのままで、ただ、拒否権なしに得ていく知恵や経験が年月の経過とともに増えていくだけだ。

大人になるってどういうこと?

 

わたしはいまだにわたしに到達しておらず、わたしはわたしをずっと追いかけ続けている。

陽だまり、そして朗らかな希望

3月になった。

大学1年生の夏の終わり、ふとブログを書こうと思い立ち、それから3年半の月日が流れて今は卒業式を目前に控えた具合である。

 

朝。上着を脱ぐにはまだ肌寒いくらいの、人類が最も生活するに適したであろう気温。澄んだ空気は麗しいベールとなってわたしを包み、しんとした静寂はわたしを味方している。

 

コツ、コツ、コツ。ヒールが鳴る。一定の心地よいリズムが耳に届く。自然と背筋が伸びて、視点は遠く先に。宝石のようにきらめく川。ちいさな子どもたちの弾んだ声。

 

風。潮の香り。横の女から漂う香水。Cカール。

 

色褪せない音楽と、着実に老いていくわたしたち。

 

こんなにもおだやかな気持ちで迎える春は、いつぶりだろう。大学の4年間はあまりにも楽しくあまりにも苦しかった。

感情にはいろいろな類のものがあることが分かったし、偏差値だけでははかれない人の賢さというものを知ったし、わたしは特別な人間でないことを悟ったし、血が繋がっていようと、どれほど長い時間を共にしようと、どれほど好きだと思っても、人と人が完全に理解しあうことは出来ないことを思い知った。

 

何度死後の世界を想像し、何度生きとし生けるものの美しさに身震いしたことか。

 

 

生きててよかった、

そんな夜は、ここだ!