記憶と記録

雑記、詩、遺書

あ、この人、このままだと死んじゃう。

 

そんなことを感じたのは、22年間生きてきて初めてのことだったと思う。

 

希死念慮は世の人の中で普遍的に存在するものだと勘違いしていたけど、ここ数年で、そうでもないことを悟りつつあった。

別にみんな、死にたいなんて考えないらしい。まことに信じられませんが...。

 

 

大きな絶望の渦中にいるわけでもなかったその人の、瞳の中に宿らない光のことや、言葉の端々に感じられる救いようのない諦念を前に、わたしはただ黙って立ち尽くすことしかできなかった。

 

イムリミットがすぐそこに迫った、第一志望の大学入試、苦手分野の選択式の難問のように、焦る気持ちを「落ち着け落ち着け落ち着け」と唱えながら静めつつ、脳内のあらゆる引き出しから色も形もわからない"正解"を探していた。

 

そんな状況にありながらわたしは、私の人生があくまで最優先であることを自覚して、自分の中に確かに存在する人間味を思わずにはいられなかった。

 

 

 

生きていてほしいと無条件に願う気持ちと、苦しみを苦しみ抜くくらいなら死ぬことで解放されてもいいのではないかという元々の哲学が争い、結局決着はつかないまま朝を迎えた。

 

 

自分に対する期待値の高い人間が、理想を捨て自由に生きられる社会になりますよう.

 

あの人が、どこかで、明日からもまた生き続けてくれますよう.