記憶と記録

雑記、詩、遺書

電線が地中に埋まってしまったら

つい1週間ほど前まで、わたしは確かに半袖を着ていたはずなのに、今日は裏起毛のスウェットの下にヒートテック(それも極暖の)まで着込み、それでも寒い寒いと嘆いている。

 

10月も終わりかけのある日、やさしいクリーム色の西日にほんのりと染められた電信柱を横目に、村上春樹を買いに行ったブックオフの帰り道を4年間くたくたになるまで使いこんだぼろぼろの自転車で走っていた。

太陽というのは大抵オレンジか黄色か赤色かそれに近しいどれかの色で語られることが多いが、こと10月末の西日に関して言えば、それはクリーム色と表現するのがいちばん近しいように感じられるのである。

 

 

電信柱は感傷を誘発する最たるものだ。文明、歴史、故郷、古い友人、あの頃の音楽、何気ないワンシーン、残った言葉、表情、そして現在、遠い未来、数珠繋ぎのようにあらゆることが連鎖して脳内を駆け巡っていく。それの発起点となるのが電信柱なのだ。

 

そんな電信柱が失くなってしまったら、わたしはどうしたらいいんだろうか。日本ではあまり積極的に進められてはいないらしいが、海外ではどんどこ電線を地中に埋め、町の景色から電信柱が姿を消してしまっているという。

 

感傷を感じられるものというのは無論電信柱以外の全く別のところにも多少なり有りはするのだが、やはりどう考えてみても感傷の最たるは電信柱に違いないのだ。あくまで私はそうなのだ。

 

感傷というのはなんだろう。それはわたし自身だ。わたしを映す鏡といってもよい。これまでわたしが生きた証を確認するための鏡。ただぼんやりと生きていれば私は私に着目することなどない。感傷があるから私は私を認識できているのだ。

 

 

電信柱が、私が死ぬまでの間だけでも、町に残り続けますように。私が私であり続けられますように。