記憶と記録

雑記、詩、遺書

あけまして、2019年

 

文章を書くのにもエネルギーが要る。少し前までは、言葉を繋げ始めたら終わりが見えないような気分に浸っていたんだけど、最近はそうでもないらしい。

更新をしていない間、このブログに何を書こうかずっと考えていた。生活と思考は切っても切り離せないものだから、毎日何かしら考えながら生きている。その中で、題材というかネタというか、書こうと思えるものも幾らかあったのだけど、何せ気力が湧いてこない。アプリを開いて文字を書き始めるところまでは難なくこなすんだけど、問題は書き始めたあとで。何が書きたいのか分からなくなるし、終着点が見えない。別にそれでも良いんだけど、この短くて拙い文章を公開してもいいのかと考えていると、いつのまにかもう一人の自分がそっと”閉じる”をタッチしている。

 

 

そういえば、2019年になった。年越しは実家で過ごした。1月1日になる瞬間は実家の風呂に浸かりながら携帯を触っていた。ツイッターやインスタのストーリーにあけましておめでとうの文字が並んでいて、その時心が複雑骨折していたからか何がめでたいんだよ!クソ!という気持ちになっていた。なんとも理不尽な怒り。今考えると めでたいよねえ、普通に。あけましておめでとうございます。年が変わるというのはいつになっても慣れないものですね。

 

実家ってのは不思議なもので、落ち着くような居心地悪いような曖昧な感じがする。地元に帰ってきて見慣れた景色を見ると、ゾクゾクっと湧き上がってくるものがある。実家も勿論同じで、やはり18年間過ごした家に帰ってきた時は、かなりホッとした。何も変わっていない自分の部屋に入り、ベッドに寝転ぶとスッと眠りについてしまうような。

ただ、夏に帰省した時の感情を私はすっかり忘れていた。実家は居心地が悪い。いや、家族といると疲れてしまうと言った方が伝わるか。

今回の帰省でも思ったが、私は家族とあまり馬が合わない。家族は好きだし、大切だ。だけどいくら家族といっても、人間だし、合う/合わないがあるもので。なんだかな〜なんだかな〜と思っていたら、気付いたらもう一人暮らしの家に帰る日が来てしまった。

 

 

地元に帰る一番の目的は、大好きな友人たちに会うことだ。今回の帰省では会いたかったけど会えなかった人も少なくなくて悲しかったけど、仕方ない。次会った時に話す内容が多くなるって考えたら、そう悪いことではないのかもしれないし。会うに越したことはないんだけどね。

大好きな友人たちに会って、めちゃくちゃ元気を貰った。面と向かっては恥ずかしくてなかなか言えないんだけど、この冬に会ってくれた全ての友人たち、本当にみんな大好きで大切だな〜と改めて思いました。あとみーんな超かわいい。直接言えたら良いんだろうけど、恥ずかしさとか謎のプライドが邪魔をしてしまうから、こんな誰が読んでるかも分からない/誰も読んでいないブログにこっそり書いちゃう。

わたし、友だちって言える人まじで少なくて、このままでいいのかなって思う時もあるんだけど、少ない代わりにめちゃくちゃ愛は深えーぞ!って強気になってる。今。

 

 

 

2018年も終わっちゃったし、もうそろそろ平成も終わってしまう。始まりはいつだって何だって無意識に気を張って疲れてしまいがちですが、そんな中でもたまには休憩を取りながら、でも確かに、少しずつ少しずつ、歩んでいけたらいいよね。

 

 

親愛なる君へ

https://youtu.be/VwEuHRDy8ss