記憶と記録

雑記、詩、遺書

実質夏休み初日の記録

意識が朦朧としていた。している。とりあえず書いてみる。というより書き殴ってみる。添削はしない。それができる状態ではないので。

片道1時間かけて行った美容室の帰り、最寄駅から家まで自転車で20分、街灯の少ない田舎道を泣きそうになりながら考えて考えて考えて走っていた。

電車に乗る前から予兆はあった。人に溢れてゴミみたいで悔しい街の中を歩いていた時からちゃんと家まで帰れるのか自信がなかった。足元のふらつき、栄養の足りていない感覚、倒れてはいけないという不安。とにかく休もうとミスタードーナツによってアイスコーヒーとエンゼルフレンチだかなんだかよくわからないけどそれらしきものを頼んで椅子に座り 買った本を眺めていた。そういえば今日はマーマレードを塗った食パンと頭痛薬、300mlの綾鷹、同じく300mlのイオンウォーター?(アクエリアスの仲間みたいなやつ)、美容室でくれたコーン茶的な何かしか口にしていなかったなと思い出した。19時半だった。

名前は、ナミちゃんとでもしようかな。とにかくまあナミ(仮)ちゃんが勧めてくれた さいあくななちゃん作『芸術ロック宣言』を3分の1程度までページをめくったところで、今度は逆にここから動けなくなって帰れなくなったらいけないと思いミスタードーナツを後にして電車に乗った。

電車の中で本の続きを読んでいた。読んでいたというよりそれは画集(作品集?)のようなものなので 鑑賞していたという方が正しいかもしれない。正直芸術のことはよく分からないなとこれまでも思っていたし、実際その本を鑑賞しながらも思った。

ただ、ナミちゃんが勧めてくれた本だから ちゃんと向き合おうという気持ちが強くて、きっと私は私だけの人生を生きていたらこの本を手に取ることはなかっただろうなと思うし、視野を広げるきっかけとなるかもしれない機会を作ってくれたナミちゃんにはちゃんと感謝しなくちゃいけない。

本当によく分からなかった。最後のページまで行き着くことなく、電車は私の最寄駅に着いた。よく分からないけど、なぜかズビズビと鼻をすすっていた。涙は流してないけど、ああ これは私だ と思うページが瞬間が言葉が作品が本の中にあり、悶々としていた。

本を読んでいた時の私の顔は たぶん相当険しかったと思う。分からないものと 私自身(これまで一番私が向き合ってきたもの、誰よりも知っているけど でもあまりにも複雑で結局一番分かってないもの)が交互に現れるこの本と向き合うことが少し怖かった。私はこれまでずっと考えて考えて考えて考えて生きてきた(という感覚がある)のだけど、でもたまにそのことが不安になって 現実から逃げようとしてしまっていた。能天気そうにみえる人(本当に能天気なのかはマジでわからない)を羨んだり、浅いところで生きている人を見て自分が惨めに思えたり、自分と自分の周りの人や物を雑に扱ったりしていた。どれだけ考えても答えが出ない、答えなど存在しているのかもわからない、そしてそもそも何を考えているのか分からないというのは 時に私を地の底まで堕とす。

担当してくれた美容師さんは年間100冊本を読むそうです。死にたかった。文学部ですなんて口が裂けても言えなかった。文学部=文学を学ぶ場所では決してないし実際に私は文学を専攻していないけれど、さすがに、さすがにだった。美容師さんは人生を円グラフにして考えたとき(人生を円グラフにして考えたことがある時点で私とは大違いだと思いもうダメだった)、睡眠はやはり人生の3分の1をしめること、そして家族と会える時間があと7日分の時間しかないことに気付いたらしく、そこから自分の時間を大切にするようになったらしい。どうでもいい人との飲み会には行かない、細かいとこで言えば歯磨きをダラダラとしない、など...。そしてそう考えるようになった本があること、その本が『あした死んでも後悔しないためのノート』であることを伝えてくれた。彼はそんな話を私にしながら、彼が何年も試行錯誤したのち編み出したという髪のカット方法を教えてくれた。彼は月400時間働き、年間休日は30日だそうです。

 

ナミちゃんお勧めの本と美容師さんお勧めの本と私の読みたい本リストの中から適当に選んで買った本が入った袋を片手に自転車を漕ぎながら、美容師さんが巻いてくれた髪が風になびくのを感じながら、毛皮のマリーズを聴いていた。

ロックのことはよくわからない、音楽のことはよく分からない。私が唯一趣味だと言えるのは音楽を聴くことだけど、正直それすら自信がない。毛皮のマリーズだって私の憧れのA君(仮)が聴いていたから聴いてみたらグッときたというだけのことで、正直よく分かっていない。

小3で始めたピアノは小6で辞めた。今ではもう猫踏んじゃったすら弾けない。リコーダーだって苦手だった。中1のとき合唱部に入っていたのに(入学後すぐに学校に行かなくなったので実際活動していたのは1.2ヶ月程だが...)歌も本当に下手だ。音楽の正解不正解が分からない。別に好きなら何でも良いんじゃないと思ってる、けど音楽をやっている人がそうじゃないのだというのならそうじゃないのかもね。

音楽だって別にもともと好きじゃなかった。中1までMステすら観るのが憂鬱だった。リビングで夜ご飯を食べている時、兄弟がMステにチャンネルを合わせると、ご飯をかきこんですぐに自室に戻っていた。

たまに、本当にたまに、聴く音楽のセンス良いねって褒められることがある。私は確かに自分の好きな音楽が好きだし その音楽が本当にかっこいいと思って聴いてるけれど これは絶対にセンスからくるものではない。そう言ってくれるのは嬉しいけどね。

というかセンスってなんなんだ、という気持ちでいる。センスって物凄く主観的じゃん、共有できるものではない。私から見たら君の聴く音楽はいつも良い音楽なんだよね、でも他人には他人の価値観があるし、これはあくまで私の趣味嗜好の話です という意でのセンスが良いねならマジで最高の褒め言葉だよね。君の聴く音楽は本当に良い音楽だよね、つまんない音楽を聴いてる人と違って、という意のセンスが良いよね はやっぱりダメかもしれない。いや、分からない...。こういう時いつも 自分の意見をはっきりと明示するのは大事だという考えと、他人の価値観を否定してはならないという考えに挟まれぶつかり消滅する。私はいつだって自分の意見がない。

 

なんとか家まで帰り着いた。ホッとした。家に着くまでの間、私はずっと考えていた。何かをずっと。フラフラで倒れそうで視界が揺れていた。私の家はパスワードを打って入る(鍵がない)形式の家なんだけど、パスワードを2回も間違えた。(ある意味自分に)酔っていた時でさえパスワードはすんなりと打てた(らしい、記憶がない)のに。

一度家に帰り 母の「何があってもご飯は食べなさい」という教訓を思い出し、無論料理を作る余裕はなかったのでコンビニに行って飲むヨーグルトとサラダチキン、焼き鳥もも塩を買って帰った。(そういえば美容師さんは和洋中基本的に何でも作れるらしい、もう美容師さんの話はしない、自分が情けなくなる一方なので)

 

衝動だった。常に考えているけど ずっと答えがなく、何を考えているかもわからない。ただ衝動でブログを書こうと思った。それだけです。それだけでした。多分私はこれからも何も分からないまま何かを考えて何も分からないまま死んでいきます。

 

本を読もう、待ち焦がれた夏休みだ。