記憶と記録

雑記、詩、遺書

コロナつらい

つらい。

 

何千万、いや何億、何十億もの人々が幾度も感じてきたこと。そう、「コロナ、つらい。」

 

COVID-19によってもたらされるありとあらゆる弊害が辛く、苦しい。

 

かのドストエフスキーも言ってるけど、人間ってのはすごいもので、その恒常性のおかげで生活のさまざまな事象に「慣れ」ていくんだよね。

「一人暮らし」とか、「初めてのバイト」とか、「別れ」とか、「恋愛」とか。

最初は家事もままならず、その孤独感でどうにかなりそうだった一人暮らしとか、あまりの覚えることの多さに不安を感じた初めてのバイトとか、縁を絶たれたあの人とか、初めてのことばかりで毎日のようにドキドキしていた恋愛とか、そう、全て、全てのことにわたしたちは慣れていくんだよ。

今では一人暮らしのほうが楽だな〜と思うし、バイトだって心を落ち着けて働けるし、縁を切られたことすら忘れるくらいだし、恋愛に至ってはもはや「わたし本当にこの人のこと好きなのかな?」とか思うし。

 

だから例外なく、このCOVID-19に支配された現状にも慣れてくわけで。

感染者がひとり出ただけでビビり散らかし不安で大号泣し死を予感していた春。外出は週に1度、食料・生活品購入のためのスーパーのみ。それから約半年が経った今、もう感染者の数に一々震え上がることはないし、泣くことはあっても大号泣はしないし、週4でスーパー行くし、近所の友だちにも会うし、映画館に行ったりもする。

なんとなく「もう良いんじゃないか」みたいな空気が蔓延り(だって政府がGOTOキャンペーンやるくらいなんだし)、これまで固く固く閉められていたストッパーが徐々に解放されていく感じ。日本人は良くも悪くも空気を読むらしいし。みんな家にいるから家にいようだったのが、みんな外に出かけてるから出かけてもいいかな?に変わってしまったんだよ。

 

そう〜〜わたしもそうなんだよ。だけどやっぱり同じ大学の学生から感染者が出たと知ると、これはまた例外というか。キャンパスが都会の中心地にあるのと、ど田舎の僻地にあるのとでは雲泥の差があるんだよね。ど田舎の僻地にある大学は、学生は皆仕方なく大学の近くに住むしかなくて、そうすると生活圏がね、皆、丸かぶりなのよ。どこに行っても必ず知り合いがいる状態なんだよね。そう、こんな場所に感染者が出たってことは...なんだよ。

その最初の感染者に関しては本当に不憫だと思うし、言いたいことはただ強く生きてくれの一言しか無くて責める余地は一切無い、というのは前提として、「あ、もう帰省できないな」「家族に会えるの楽しみにしてたんだけどな」「というか地元で参加予定だった就活のイベント参加できないのか」「就活どうしたらいいの」「えってかバイトまた営業停止するんじゃ?」「もし停止したらどうしよう」「お金なくなるな」「また友だちに会うことすら出来なくなる...」「どうしよう、また初期のうつ状態に戻りそう」

 

で、「コロナ、つらい」

 

もう、これ、いつまで繰り返すんだ。

 

ねえみんなつらくない?ねえ、みんなつらいよね。みんな、(表向きでは)普通の顔して生き続けてるの偉すぎない?え?ねえみんなどうするこれから?いつまでこの生活?ねえ、生活ってこんなに苦しいっけ?みんな、どう生活してる?何を希望に何を頼りに生きてる?ねえ、みんな...?

 

とにかくコロナがつらい、憎い。

 

 

もうね、終わりなんです。本当に。

すべて、おわり......................。

 

 

コロナが収束するまで冬眠させてください。

おやすみなさい。