記憶と記録

雑記、詩、遺書

心なんて一生不安さ

19歳になった。

いやまだ19かよ!という気持ちが強くて全く嬉しくなかった。10代、長すぎるでしょ。ずっと大人に憧れていてはやく大人になりたいと思って生きてきたから、19歳なんていう肩書きにはガックシくる。

大人になりたくない、いつまでも子どもでいたいという人は多いと思うしその気持ちもすごく分かる。大人って汚いしずるいし目は死んだ魚の目をしていてわけわかんないことを言ってわけわかんないものに囚われてて窮屈そうだし。そうなんだけど何故か私は大人が好きだった。

久しぶりに会った友人が「わたし、はやく大人になりたいんだよね。だって、大人って楽しそうじゃん!」と言い放ったとき、ああ、この子とは友人になるべくしてなったんだなとしみじみと考えた。あ、でも意見の一致が友人である絶対条件なんてことは一切なくて、考え方も生き方も全く違う人でも私はめちゃくちゃに愛してる人が沢山いるよ。

 

ここまで大人になりたいと散々言っといてあれだけど、ここ最近はマジで死にたくて仕方がなくてどうしたらいいか分からない。大人になるとか以前にもう今すぐに消えていなくなりたいと思いながら生活している。

生きてる意味というのは中学生の頃に何度も何度も何度も何度も考えてきたことだ。結論なんて勿論出なくて、高橋優の少年であれっていう歌の「生まれてきた意味ならば 後付けでも素晴らしい」っていう歌詞を信じて、いつか分かればいい、生きる理由を探すために生きようと私は無理やり自分を納得させて、そのクエスチョンには終止符を打った。はずだったのに。

 

あの頃の死にたいと今の死にたいは若干違う。何がと聞かれたら分からないが、何かが違う。でもまあ死にたいことに変わりはなくて、死にたいときはいつもベランダから飛び降りる想像をしてしまう。

 

上手くいかない。何も上手くいかない。誇れることが何もないというのはこんなにも自分を苦しめるのか。

 

学校に行くと動悸がする。人と目が合うと不安になる。だから下ばっかりみて過ごしてる。学部の陳に近づくと冷や汗が止まらなくなる。

バイトも車校もしんどいから辞めてしまいたい。学校はもちろん辞めたい。でも辞めたら本当に全て無くなってしまうのが分かっているから辞められない。私は別に全て無くなったって良いんだけど、でもこれは私ひとりの問題ではないから。

学校を辞めたいという友人がいる。その相談をされたとき、私は辞めてしまいなよと言った。その人は精神的にかなり追い込まれていて、生きているのが苦痛そうに見えた。私はその人が苦しむ姿をみていたくなかったし、これまでのその人の人生を考えると、はやく幸せになってほしい、自由に生きてほしいと思った。そんなに君を苦しめるものを、家族や世間の目を気にして、必死に繋ぎ止めたりなんてこと、しないでよ。もっと自分のやりたいことをやって、生きたいように生きて。そんなことを伝えたけど、いざ自分がとなると、そんなの無理で。口ではそう言っても、中々そうもいかない事情が沢山あるんだね。

 

私は将来の夢がない。やりたいことがない。将来の夢を聞かれたとき、私はいつから公務員と答えるようになったんだろう。安定しているからという理由で。仕事内容に惹かれたわけでもないのに。

音楽を聴いていないと前を向けない。自転車を漕いでる時はドラマNのためにの「下は見ない。上を向く。」というセリフを脳内で永遠リピートする。Nのために、良いよね。夏休みに暇を持て余してプライムビデオばっかり観てたときがあったんだけど、その時にNのためにを見つけて嬉しくなっちゃった。大好きなドラマ。もちろん観た。

 

 

私は平成が終わることに対しても、10代が終わることに対しても全く悲しく思わない。終わりを実感していないだけなのかもしれないけど。はやく終わってほしい。次の元号が何かは知らないけど、その元号の人たちに将来「平成生まれとかおばさんじゃん!笑」と笑われたい。ババアだと罵られたい。そしてちょっとだけ傷付きたい。はやく大人にしてください。

 

Syrup16gの明日を落としてもの動画を貼ろうとしたけど、公式の動画がなかったので辞めた。死にたい時に聴くシロップは本当に頭のてっぺんから足の指の先まで染み渡る。

苦しい時に聴く音楽というのは二種類あると思っていて、一つは元気を出してくれる応援ソングてきなやつ、もう一つはめちゃくちゃ暗くて救いのないやつ。これは完全に好みが分かれると思う。わたしは後者なので、死にたい時はそんな曲を聴く。