記憶と記録

雑記、詩、遺書

4月

何よりも嫌いだった春がきた。

桜が満開で、人々が衣服を一枚脱ぎ、なんだか晴れやかな顔をして、日本をくるむ空気全体がどこか浮き足立っている。

 

古く、長く、親しみのあるものが好きで、手垢のついていないピカピカの、馴染みのないものが苦手だった。

 

人の顔を窺い続ける人生で、人の判断を見誤る人生だったから、新しい知らない人ばかりの場所はどうにも居心地が悪い。春はいつも試練を意味していたし、冬はいつも諦念と失望のアンハッピーセットを泣きながら咀嚼していた。

 

 

16年間過ごした学生という身分からの卒業。果てしない社会人という巨大で得体の知れぬ身分、成れの果て。

 

 

子どもなんて最悪だと思っていて、はやくはやく1日でも早く大人にと思っていて、今でもその気持ちは変わらずある。

名前の横につく年齢表記も、1年、また1年と数を一つずつ重ねていくのが嬉しかった。

 

 

朝。見知った顔が並ぶ駅のホームで電車を待つとき。

改札を抜け高校生の群れの間をぬって左に曲がるとき。

外の光だけで暗く照らされた職場の扉を開けるとき。

 

理由のない涙で視界がぼやける。

 

いつのまにこんな年齢になってしまったのだろう。

14歳のわたしはわたしのままで、ただ、拒否権なしに得ていく知恵や経験が年月の経過とともに増えていくだけだ。

大人になるってどういうこと?

 

わたしはいまだにわたしに到達しておらず、わたしはわたしをずっと追いかけ続けている。